
SNSを中心とした現代社会では、情報が高速で共有され、新たな共同体が生まれては瞬く間に消費される。本書で語られる「庭」は、造園論ではなく、情報社会を問い直すための比喩。流動的な社会に対し、著者は庭を見つめ、新たな社会への姿勢を示す。
著者は、庭を「人間外の事物とのコミュニケーションの可能性に開かれた場所」と定義する。 SNSでは評価や承認が支配し、身体性を伴わない「人間同士の関係」であることに対し、庭は多様な生態系とつながり、「人と事物の関係」を深める場である。いわば、私的と公的をつなぐ「蝶番」のような存在。本書はこうした庭と社会の対比を軸に語られる。庭は身体性を伴い、手入れや観察を通じて事物と関わり、私たちはどこか不完全な状況を受け入れながら関係を築いていることに気付く。著者は、この関係性こそが評価経済からの離脱と、新たな社会構築の鍵になると指摘している。そして、ジル・クレマンの『動いている庭』や「ムジナの庭」、民藝、銭湯などを通じ、庭の概念が示す可能性を多角的に浮かび上がらせていく。庭は時に、人を共同体から切り離し、孤独へと向かわせる。しかし、その先には公共性があり、本書の結びでは「弱い自立」の重要性が示される。評価や承認ではなく、職人が体現する「制作」に没頭するということ。そこから人は、世界に対する「手触り」を感じるのではないかと筆者は伝える。
本書から見えてくる、庭師という生業。庭とは何か、私たちが何者なのかを新たな視点で問い直してくれる一冊である。
庭の話宇野常寛=著
発行/講談社
定価/3,080円(税込)