東京・JR駒込駅のすぐそばに位置する六義園。現在、桜や紅葉の時期になると大勢の見物客で賑わうこの庭園が、安永・天明期の江戸で、どのように利用されたのか、誰が何をして楽しんでいたのか、その実態を明らかにしたのが本書だ。
六義園はもともと、徳川五代将軍、綱吉の側近にして大老格の要職にあった、柳沢吉保の下屋敷だ。六義園を「和歌の庭」として構想した吉保は、古今伝授を受けるほど和歌に精通した教養人。その孫にして大和郡山藩二代藩主・信鴻もまた和歌や俳諧に造詣が深く、文学、絵画、芝居など多岐にわたる趣味人だった。その信鴻は同時に記録魔でもあり、六義園で過ごした晩年の20年間を『宴遊日記』に詳細に綴っている。
この日記を隅々まで知り尽くす小野佐和子氏が描き出す、信鴻が過ごした六義園の日常は、遊びの気分の賑やかさと活気に満ちている。家臣や側室らと共に、信鴻自らも芝を刈り、苗木を取り、春草を摘む。春にはつくし、夏には茄子、秋には栗が採取されて振る舞われ、初夏はホトトギスとカエルの声を聞き、燕と雀は軒先に巣をつくりにやってくる。庭園は菊花壇の見物や句会、藩士の訪問などの機会で外部にも開かれた。手塩をかけて手入れされたその庭を見せることは信鴻や訪問者にとって特別な意味を持つ「もてなし」となった。
庭を家族とつくり、遊び、賑やかな動物たちと共に過ごし、その恵みをもって、人をもてなす。そんな贅沢な庭の楽しみ方を、稀代の趣味人・信鴻から時代を超えて伝授してもらえる、格好の一冊と言えそうだ。
【庭NIWA 231号掲載】
小野佐和子=著
発行/平凡社
2,400円(税別)