庭2024年秋号No.256
連載-未来を植える人びと-第28回
取材・文=梶原博子


造園の経験を活かし
魅力的な樹木の提案を目指す

若い頃に故・飯田十基との邂逅から剪定の美学を学び、造園家の糟谷護さんから仕事への向き合い方を教えられたという、千代田農園の八木峰夫さん。二人の巨匠との出会いが転機となったという、八木さんの半生と仕事への向き合い方に迫った。

飯田十基との出会い

 日本四大植木産地として知られる、愛知県稲沢市。本連載の取材でこの地を訪れるのは5度目になる。今回、訪れたのは高木、中木、低木の落葉樹や常緑樹、下草類を豊富に扱う千代田農園。現在は同社4代目で代表を務める八木峰夫さんと息子の健太さんの二人で植木の卸売業を営む。
 「当社は明治22年に創業し、曽祖父がみかん苗木の生産からスタートさせました。親父の代までは果樹苗木の生産と卸売販売が中心でした。私は当初家業を継ぐつもりがなかったのですが、大学3年生の時に祖父が亡くなり、「家業を継いでみてもいいか」』という気持ちになりまして。そこで、これからは果樹苗木ではなく造園向けの植木に需要があるだろうと考えて、1973年に大学を卒業してから上京し、3年ほど造園会社を渡り歩きながら、植木や造園の知識を身につけていきました」と八木さんは話す。
 東京で造園修業を始めた八木さんは、最初に働いた造園会社で生涯忘れられない出会いを果たす。
 「ある日、住宅の庭の手入れで剪定をしていると、杖をついた着物姿の老人がやってきて『そんな枝の切り方をするんじゃないよ!』とこっぴどく叱られました。他の職人に対しても杖で枝を指しながら『今年はこの枝を切りなさい。こっちが伸びてきたら来年はそれを切りなさい。そうすると3年後に伸びた枝が自然な形になる』と指示をしていました。当時は何も知らない新人でしたから、『偉そうな爺さんだな』と疎ましく感じていたのですが、数年後にそれが飯田十基先生だったと知りました。今、思い返してみると、数年後の樹木を見据えた的確で丁寧な剪定の指示で、叱られながら学んだ剪定の法則は今の仕事に大いに生かされています」
 3年間東京で働いた後、稲沢に戻って家業に入った八木さんは、本格的に植木を扱い始める。当時、高度経済成長期真っ只中で、公共事業も多く、稲沢では垣根用に使うカイズカイブキやサザンカ、キンモクセイなどが飛ぶように売れたという。・・・続きは庭No.256の紙版・電子版で。

赤い古葉がところどころに残り、庭に彩りを与えるコバンモチ。
石畳の園路のある圃場。東京の造園会社で修業した八木さんのセンスが現れる。
5月に白い可憐な花を咲かせるカルミア。
事務所のすぐ隣にある圃場は、庭づくりのイメージが湧きやすいような配置を心掛けて仮植している。
八木さんが自ら北関東や九州で買い付けてきた、自然樹形が美しい雑木が集まる圃場。
小ぶりで繊細な花をつけるコアジサイは、素朴な姿が雑木の庭によく似合う。

八木峰夫
やぎ・みねお│1950年愛知県稲沢市生まれ。大学卒業後、東京で3年間造園の修業を積んだ後、家業に入る。愛知県稲沢市に点在する総面積約1ヘクタールの圃場で、300品種の植木を扱う。
株式会社千代田農園(愛知県稲沢市)

       【地図から探す植木生産者】

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