現代にも通じる庭の楽しみを探る/日本エクステリア学会「江戸噺 江戸庶民の庭」講演会レポート
パネルディスカッション/写真右から、須長一繁氏、山田順子氏、パネラーの蒲田哲郎、山澤清一郎、大嶋陽子の3氏

日本エクステリア学会(東京都、吉田克己理事長)は10月29日、時代考証家の山田順子氏を招き特別講演会「江戸噺 江戸庶民の庭~庭園史に書かれなかった、江戸の下級武士・町人の庭を探る~」を東京・江東区の清澄庭園大正記念館で開催した。江戸時代の庶民の庭は、同学会の歴史委員会が取り組んでいる研究テーマであり、開催にあたって歴史委員会の須長一繁委員長は「様々な資料を持ち寄っているのですが、資料だけではなかなか肉付けができないというか、人びとの生活が見えてこない。そこで、皆さんと一緒に時代考証家の山田先生のお話を伺うことで理解を深めようと企画しました」と講演会の趣旨を述べた。

時代考証家の山田順子氏。講演会では大島紬の着物で登壇された。

 

150石の旗本屋敷の庭

講師の山田順子氏は、テレビドラマ『JIN-仁』や『天皇の料理番』ほか多数の時代考証を行っている。また、『江戸グルメ誕生-時代考証で見る江戸の味』(講談社、2010)など江戸時代をテーマとした著作も多い。講演では、山田氏が関わったテレビドラマのセットなどの画像を交えながら、現代に再現させた江戸時代の庭について解説した。

『JIN-仁』は、現代からタイムスリップした脳外科医の南方仁が主人公の物語。南方仁は、旗本橘家の娘と結婚して「橘仁」となるが、このときの150石の旗本屋敷と庭について、撮影を行った茨城県つくばみらい市の時代劇のオープンセット「ワープステーション江戸」や、撮影スタジオ内につくった屋敷のセットを例にとりながら、格式による座敷と庭の配置について詳しく解説した。例として旗本屋敷の家庭菜園を取り上げ、表座敷や表廊下などの客が通る場所からは見えない位置、仕切られた塀の裏側などに置かれていたことなどを、撮影中の失敗談を交えながら分かりやすく説明した。

「これは創造の産物ではございません。きちんとした資料を基に忠実につくっています。こうした建物と庭は実際にありました」と実在した建物を再現している例もある一方で、「必ずしも時代考証通りにやれば、それが作品としていいかは別です」とも山田氏は述べ、ストーリー展開や場面によっては、多少の変更を加えていることも具体例を示しながら語った。

会所地が裏長屋になっていく時代の変遷のなかでの庭

庶民の庭については、江戸初期において、通りに面した商家に囲われた中央の空き地(会所地)が、人口増加にともない土地が区画されて長屋が建っていったなかでの使われ方について述べた。会所地は共有地であり、蔵が建ち、井戸が掘られ、木陰をつくるために木が植えられて、洗濯物などを干していた生活の庭であったが、長屋が建つにつれて、共有スペースはなくなり、植物も路地に沿って植木鉢を並べて楽しむようになっていった。

こうした江戸の住まいの変化と庶民の生活の様子を、屏風図や江戸名所図会などの資料をもとに解説した。

現代にも通じる庭の楽しみ

山田氏の講演後には、日本エクステリア学会から3人のメンバーを加えたパネルディスカッションが行われた。その中で、「馬琴などは作松を買ったとか、植えたとか言っている」「馬琴は梅の木をあえて品種を指定して買っている」と滝沢馬琴の例を山田氏は紹介し、江戸の人びとが樹木や植物に対して親しみ、深い知識を持つと同時に、植物などを供給する側も品種改良を重ねることでお客を呼んでいた仕組みを説明した。

またパネルディスカッションでは、講演で紹介された、鑑賞する庭園、草花を楽しむ花壇、家庭菜園、果樹などによる江戸の庭の使われ方が、現代にも受け継がれていることが確認された。「江戸も現代の庭も違いはありません。その人の趣味であり、人生でもありますから。何を求めているかです」と山田氏は述べたが、一方で、現代との違いについては「旗本もお殿様も鍬は使いません。中間(ちゅうげん)や門番などが鍬を使っていた」と会場の笑いを誘った。

このほか、会場からの質問を含め、江戸時代の庭に関する様々な事柄について意見が交わされた。

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