風の吹き抜ける自由な庭。簡素で飽きず、飾り気のない庭園にしたいと施主からの依頼があった。建物は平屋作り、街並みとしては緑の多い住宅地の一角である。40坪弱の敷地に新旧の調和を重ね合わせ、かつ伸びやかな庭を目指した。
周知のとおり、造園業も変容を余儀なくされる今日である。日本庭園と位置付けられる本来の伝統的作庭は、神社、仏閣、公共施設など限られた空間での美となりつつある。
日本本来の庭園文化を失うことなく一般社会に迎えられる作庭とはどのようなものか。われわれも先を見据えて学んでいく必要があり、身を引き締めざるを得ない。しかし現在、生垣、燈籠、客間、縁側等、民家で培われてきた文化が消滅しつつある。庭は建築物のデコレーション的存在と認知されることも否めない。それについては一理あるが「庭は生き物」と、頑固な職人は呟いてしまうのである。
そのような現状の中で庭作りを楽しもうとする施主と出会い、狭小化した東京の庭を自然の風の世界へと誘う役割を仰せつかった。
駐車場から玄関までのアプローチは、本来の日本庭園の端正な佇まいを伝承、和室からの目線では、土、樹木、木漏れ日の落ち着き、家族が一日を過ごすダイニングの椅子からの広角の視線は、風、雨、雪、落葉、陽射し等を捉えられるに違いない。家族が自由に草花を楽しめる空間も想定し、施主に納得を頂いた。
作庭時、手入れの大切さ、庭への愛情の掛け方、その他施主の質問にアドバイスを繰り返しながら仕事を終えた。
作庭から10年を迎えた現在、武蔵野の面影を残し、さり気ない優しさに包まれた素朴な庭に生長した。これから施主も庭も年を重ねていけば、バリアフリーのアプローチ、手入れの簡素化、踏み石の安全性への対応も必要になる。
造園に関わる私どもは、どの場面にも真っ当な対応ができる職人技を磨き続けなければならない。10年後、20年後の未来へ向け、若い職人たちへ、伝え、教える、親方の責任を果たさなければならないと心する10年後の庭であった。
最後に自然の庭について私なりに整理してみる。
自然と庭の関係は深くて遠い仲とも言えないだろうか、自然とは風景である。里山、雑木林、野に咲く百合や菫、太陽や風雨を受けて生長し変化を遂げ、循環を繰り返す。枯木のそばには新芽が吹き、樹木は自然と高低をつくり、根は地中に向かい、その周りを苔が覆う。これが「自然の庭」の原点であろう。
しかし、限られた生活空間の中で再現は出来ない。その一部を感性で切り取り「延段、踏石、灯籠」など人工美を加え、小宇宙をつくる。
年月を重ねて味のある庭へと化す。自然の庭とは過不足のない自然光の取り込みを成功させた庭であると考える。 鈴木一光/植光